赤い実がなる センリョウ
主役になった お正月
寒さに耐えながら
明るく彩を添える
花が眠っている庭で
雪が雨に変わる頃
芽吹く花々に交じって
凛と彩る センリョウ
梅の花は 満開
梅の木の枝にムクドリが休む
ムクドリは休む
ムクドリは動かない
人の気配で
ざわめき体を縮める
何を待っているのか
静まり返ったその時に
見えないところで
動く 彼ら
消えている 赤い実
今は、ムクドリのお腹の中へ
一番は梅だった
速いなあと称賛の雨あられ
立春が過ぎたからね
スタートの合図はしっかり聞いたよ
二番手は椿
淡いピンクのドレス
裾を軽やかに膨らませ 優雅にゴール
お姫様なのに 勝負強いというかしら
三番手はモクレンか
三番手はジンチョウゲか
モクレンのつぼみはまだ堅そう
ジンチョウゲは赤く紫に色づいている
五番手にはボケの花
ゆっくりとマイペースの走り
入賞は間違いないな
3月のアシストがありさえすれば
ずっと遅れて、スズランに
チューリップ
目標は完走だね
大切なのは、しっかり花を咲かせることだよ
センリョウやスイセンは
庭の観覧席から
ガンバレ ガンバレ と、
声援をとばす
レースが終わったその後は
みんな集まり 花の宴
ミツバチが給仕してくれる
ハチミツはきっと美味しかろう
風に揺れる風鈴
糸が切れる
子供イルカは落ちる
海の中へ
初めての海
塩水が目に染みる
青に黄色に赤に
お魚さん、初めまして
深く 深く イルカは潜る
僕と遊んでくれない
友達がいないんだ 初めての場所で
たわむれながら トリトンとイルカは親友になる
クジラのおじさん
大きな尻尾だね
尻尾じゃないよ ヒレ、というんだよ
君とおじさんは親戚かもしれないね
鋭い歯 怖い目で睨まれた
おい、坊主、俺たちに近づいちゃいけないよ
近づかなければ何もしないさ 早く行きな
と、怖い怖いサメのおじさん
大きな黒くて白い絨毯に包まれた
見えないよ ここはどこ
遠く離れた海につれてきてあげた
あんまり遠くは嫌だよ
見たこともない宮殿
初めて見るきれいな女の人
大きなカメもいて
みんなで楽しそうにパーティーだね
マンタのお兄さん
もう、おうちに帰りたいよ
お父さんとお母さんが心配している
海はとっても楽しかった 友達もできたんだ
久しぶりに見る空
一陣の風が吹き
子供イルカを救いあげる
切れてしまった糸を結んで
風鈴は子供イルカをしっかりと受け止める
一番大きな姉さんがエプロンを広げる
二番目に大きな姉さんが卵を割る
三番目に大きな姉さんがかまどを熱くする
四番目に大きな姉さんがフライパンを熱くして
五番目に大きな姉さんがバターを持ってきた
六番目に大きな姉さんがハチミツをなめた
一番小さな私は焼きあがるお菓子を待ちかねる
あっ! 熊が来た!
一番小さな私から我さきに
一番大きな姉さんの中に
さあ、隠れろ!
私達七人で一人前
姉さんが熊を追い払い
七人でお菓子をいただいた
海の向こうから
日本に連れてきた
香り豊かな
異国の茶
アツアツのお湯が大好きで
数分もお湯につかっていると
美しいダークブラウンにゆであがる
長湯しすぎ?
少し湯ざまししましょう、と
真っ白な
こちらも香り豊かな
ミルク風呂につかってみる
冷たいミルクと
アツアツの入れたての紅茶が
出会って
混ざって
のぼせていたダークブラウンの君
しかっり気を取り戻して
素敵な香りと
美味な味わいで
幸せにしてくれる
スリランカの君
今週のお題「チョコレート」
”良薬は口に苦し“ という言葉がある、文字通りの意味もあるし、含蓄のある意味もある、チョコレートの話のはずなのに、”苦い“ とはどういうことだ、と思われるかもしないが、その昔、今でいうチョコレートの祖先というものは、実に、苦くて、口に合わなくて、 とても、喜んで口にできるような ”味“ ではなかった。今では、食べすぎると虫歯になるよ、であるとか、カロリーとりすぎで体重また増えるよ、とか、糖分取りすぎで健康に悪いよ、とか、チョコレートは食べすぎてしまうほどやめられない味になっている、が、しかし、本来チョコレートの始まり、というのは、 ”薬“ として飲まれていたものであって、けっして、現在のように、甘くて、美味しいものではなかった。
お茶、も同じような生い立ちで始まる、本来、お茶の祖先も ”薬“ であった、お茶がまだ ”薬“ であったころ、果たしてお茶が苦かったか、飲みにくかったのかはわからないが、お茶が日本に伝わったころに日本には砂糖というものがなかったことや、現在、茶道で飲まれている ”抹茶“ という茶が、一般の人にはそれほど飲みやすいと思われていない事実を考える時、やはり、 ”薬“ としてのお茶も、チョコレートと似たり寄ったりの境遇にあったのではないか、と想像できる。
そんな、祖先は ”苦い良薬“ であったチョコレートも、ミルクや砂糖が加えられ、様々な改良がおこなわれた結果、現在では、実に美味で魅力的なスイーツに変身を遂げて、かつての ”苦い“ ”飲めない“ ”薬は嫌だ!“ といったような汚名(?)は返上されたかに見える。
チョコレートの原料ともなるカカオには、カカオポリフェノールという成分がたっぷりと含まれていて、これが、美容と健康にいい、と言われている。なので、現在でも、砂糖やミルク抜きで、カカオポリフェノールがたっぷり含まれていて、純粋にカカオオンリーで作られているか、又は、それに近いチョコレートは、甘味を感じることは期待できないが、美容と健康にいい、ということは確かだ。
そこで、店頭でよく目にするようになったのが、カカオ70%、カカオ80%、カカオ90%、そして、ついにはカカオ100%のチョコレートが店頭にお目見えすることになる、どこのお菓子メーカーもこぞって販売している。筆者もこれら高カカオ分のチョコレートを買って食してみた、70%から100%まで、が、どこのメーカーのどの高カカオ分のチョコレートも、日本製のみならずどの国で作られたの高カカオ分のチョコレートも感じることは、やっぱり、”甘くない” ”苦い“ ”食べづらい“ ”食べられない!“ といった感想だった。
おそらく、欧米や日本で一般的にチョコレートに使われるカカオ豆の品種が苦みを伴うものなのだろう、おそらく、砂糖を減らせば、当然ながら、チョコレートの甘味は減るのだろう‥‥と、様々な理由はあると思うが、一つ言えることは、カカオ分の多いいチョコレートを食べることによって、昔、昔、薬として飲まれていた、良薬としてのチョコレートの祖先の味に近いものを、体験できるということか、もちろん、全く同じというわけにはいかないが。
ついつい購入してしまう、高カカオ分のチョコレート、これだけ甘味がなければ確かに良薬だったのだろう、と遥かな昔に思いを馳せながら、どうも、やっぱり、これ以上は無理、と思ったり、生クリーム買ってきて、チョコレートドリンクにしてしまおう、昔、チョコレートは食べるものではなくて飲むものだったではないか、など、勝手に屁理屈つけて、カカオがたくさん含まれているチョコレート、どうしたらお気に入りの味で食せるか、と、頭をひねる今日この頃。